2013年11月30日土曜日

Vortex Engineering インド農村のATMを開発する会社


インドにいると、様々な情報が入っている。それを自分のメモがてら少しずつブログにしていきたい。

Vortexは安価で農村に根ざしたATMを開発した会社だ。

もともとの発想が面白い。貧困を削減するために、金融サービスを村の人たちがうけれるようにすることを考えていた。例えばローンとか保険とかである。保険に入っていれば、お父さんが亡くなったとしても生命保険がおりて一家は何とか暮らしていけるかもしれない。しかし、村の人たちには「信用」がない。したがって、金融サービスをうけようとしても、審査が通らなくて落ちてしまう。と同時に、ちゃんとした審査をすると、村までスタッフがいって調べて・・・としているとコストがかかる。

そこで、村の人たちと金融機関にtransaction(何らかの取引)をまず発生させることを考えた。お金を預けたり政府からの補助金を受け取ったり、という取引を繰り返すことで、信用を蓄積することができる。信用が蓄積されたら、さらに高度な金融サービスをうけることができる。

そのためにATMをつくるという発想に至った。村にATMがあればそこでtransactionを発生させることができる。ATMといえば都市にあって、日本だったらコンビニにあるイメージ。それが、インドの村にATMをつくるという発想がすごい。

村のATMだから、頑丈じゃないといけない。また、電力が不安定だからバッテリー機能が必要だ。場合によっては、ソーラーパネルを併設する。電気の使用量自体も限界まではらしたという。また、クーラーがないので、機械の熱があがって壊れてしまう可能性がある。そこで、気温が50度まであがったとしても稼働するようにした。また、村のしわくちゃの汚れた紙幣も受け取ることができように工夫されている。これらの機能がありつつ、村の人たちの使用する単価を考えると格安でつくらないといけなかった。

一度、つくったものを実験して村の人たちに使ってみてもらったところ、女性から「暗証番号だと不安だわ」という声が聞かれた。よくよく話を聞いてみると「男性が勝手にお金をおろして使い込んでしまう」という主張だった。そこで「生体認証」も組み込んだ。



味のある音楽が流れるのでご注意ください

このATMにより起きたインパクトは金融サービスの話だけではない。政府の補助金を直接受け取ることも可能になった。インドでは、貧しい人たちに政府が仕事を供給することが義務とされているのだけれど、これまでそのお金は、代表者(例えば村長)が遠い都市までいき、みんなの分を大量に受け取り、それを配布していた。不正がおきるリスクも高いし、また、現金を大量に持ち運ぶので危なすぎる。しかし、いまはATMで直接それぞれが受け取れるわけだ。

これまで、タタ系のベンチャーキャピタルや、IFC(世界銀行系)等が投資をしている。インドだけではなく他の国にも進出しているそうである。



CEOのおじさん。

Vortex
http://vortexindia.co.in/

2013年4月9日火曜日

インドの村に行ってきた。




インドについてまだまだ勉強中の僕は、村のNGOを訪問してきました。ムンバイから電車で8時間ぐらい。そこから車で2−3時間の村です。2泊4日の日程でいってきました。

夜9時の夜行列車で向かいます。人生で初めての寝台列車です。インドでは寝台列車はポピュラーな移動手段です。


駅のホームでたくさんの人が待っています。



中はこんな感じ。2段ベッドや3段ベッドがあります。


移動する日から、とても具合が悪くて、体の節々は痛いわ、下痢だわでつらかったです。同室だった人にはとても迷惑をかけました。



トイレ

トイレはとても奇麗でよかった。水洗ですが、トイレットペーパーはありません。
写真の左下に見える小さなカップに水を貯めて、その水を使いながら手できれいにします。
慣れると、このやり方は、痛んだ尻にはとてもフレンドリーな方法となります。




無事着きました。ホテルにチェックインして少し休憩。朝食をとります。


 食べる気に慣れず、チャイ(インド風の紅茶)とクッキーと薬を飲みます。

車で村に移動します。

アスファルトで快適。眠って体調回復に努めます。
ぐったりでこのあたり、あまり記憶がありません。







車が揺れて目を覚ますと、荒野を進んでいます。


NGOのスタッフに聞くと、「水不足のため、人々が争っていて、道が封鎖されていて迂回中」とのこと。北斗の拳か!!と思いました。これが現実。今年は干ばつがひどいため大変らしいです。


 そんな中、仲良しの兄弟を発見。


 ついに村につきます。
村の家


このNGOでは、10〜20人の女性の小さな組合をたくさんつくっています。女性たちは一人ずつ50Rs(100円)を組合に貯金します。そうすると、だんだん貯まってきます。女性たちは、その貯まったプール金からお金を借りることができます。家の改修したり、小さなビジネスをはじめたりするのです。





 貯めたお金で始めた村の雑貨屋さん。石けんやクッキーなどが売られています。


小銭が区分けしてあります。インドでは初めてみました。
やり手のおばちゃんのようです。


また別の村にいきます。合計で6つぐらいの村に訪問しました。

 行く村、行く村で歓迎してくれます。ここでは、ものすごい歓迎がありました。花でつくった首輪? ハワイでしてくれるようなやつを首にかけてくれました。

さらに、何かをおでこに塗ってくれます。

 思わず自画撮り。


女性たちだけではなく、少女・少年たちもグループをつくっています。子ども会のようなものです。村の中では、少女は家事を手伝いをし、少年は学校にいきます。このような差別について子ども会の中で学んでいるそうです。



活動の一貫として帽子をつくったそうです。


別の村の女性たちの組合です。組合活動を楽しんでやっている雰囲気が伝わってきます。






「活動をはじめてから、自分たちで稼ぐことができて、自信がついてきた。わたしたちが、ばりばりやっているから、オトコたちは酒を飲むしか用がなくなっちゃったのよ。がはは」
という感じです。


元気な女性たちです。




この女性は、冷たい飲み物屋を始めました。













コカコーラを売っています。

別の女性の家に行くと、このコーラをおごってくれました。ありがたく頂きました。暑い中のコーラは最高です。


全然関係ないですが、洗濯物は路上において干していました。すかさず写真。




2日目の最後に、save the children indiaという僕らのパートナー団体であり、今回案内してくれたNGOのオフィスにいきました。


 NGOの人たちと意見交換をします。



村の現状について、プロジェクトのやり方についてなど。彼らからは、「日本には人身売買はあるのか」 「女性の組合はあるのか」 「津波はどうだったのか」などなど色々な質問がでてきました。

うまく答えられず、日本についてもっと勉強しなきゃなぁと思います。

2日目の夜にスタッフたちはムンバイに帰ります。僕は残って、他のNGOや売春宿にいってきました。


3日目は、この地域で活動する他のNGOに訪問しました。
sex worker(売春婦)の人たち向けに、HIV/AIDSの防止の活動をしているNGOにいきました。


夜は、このオートリキシャというタクシーにのって、売春宿に行きます。お客のふりをして、どんな現状なのかを見に行きました。単独なのでどきどきします。


写真は残念ながらありません。撮影できないからです。
多くの女性たちに「おーいネパーリ(ネパール人)」と声をかけられました。

1回400円ぐらいだそうです。中には18歳未満に見える女性もいました。この地域では、「神に捧げられた踊り子」という慣習があります。ひらたく言うと、貧しいかったり何かしらの理由で、お寺に捧げられる女性たちがいるのです。その女性たちは儀式のための踊り子をするのですが、同時に売春を行って生きていきます。このことは難しいので、また別の機会にブログにしたいと思います。

調査を終え、駅に向かいました。




寝台列車です。帰りは同室の(見知らぬ)インド人と仲良くなろうと息荒く乗り込みましたが、すでに、時間は10時。みんな寝ていました。残念です。


僕のベッド。

シーツもあり、毛布もあり、いい感じです。



朝、ムンバイにつきました。朝もやがきれいです。

無事到着です。2泊4日(車中泊2泊)の旅。村の女性たちの元気さと、状況のシビアさを学んだ旅でした。


PS
ホテルで寝た後、この日は、日本食レストランにいきました。

5カンで800円(だったかな)。うーむと悩みます。とくに村の女性たちは、毎月100円をがんばって貯める状況。悩んで結果、松ではなく竹なら、いいだろうと食べました。

うまい。日本で寿司を早く食べたい。誰かおごってくれ。



2012年2月8日水曜日

救出4) 説得と決断


過去記事

救出1) 前日

救出2) 直前/情報漏れ

救出3) 突入





こうして救出は成功した。しかし、救出されたことによって、彼女たちの人生はリセットされ0から再出発だ、よかったね、ということなんだろうか。しかし、それは間違いだ。圧倒的にマイナスからの再スタートだ。最後にその話をしたい。


インドにおいては幾つかの制約があるものの、個人で売春をすることは合法だ。その一方で、売春に関わることは社会的に忌避されている。簡単に言うと、「売春婦」は差別されるのだ。「春を売っている女たち」は差別されるのだ。彼女たちは、売りたくて売っているのではない。売らされているのだ。そして買っているのは誰?


救出されたとして、彼女たちは地元に帰って幸せな暮らしをできるだろうか。10代後半に毎日毎日、性的行為を強要されていた彼女たち。家族や地元の村の人たちは、受け入れを拒絶するかもしれない。そして、ここGBロードには受け入れを拒絶され、今度は自らこの売春宿に戻ってきて身体を売る女性がいる。そういう女性やマダムは、少女たちにそういう話をして「洗脳」している言われる。いや、洗脳ではなくて、それが事実でもあるのだ。そのことを彼女たちもわかっている。だから迷う。特に、ここに来て長年になっている場合はそうだ。


そレスキューファンデーションのスタッフは説得をする。どうにかして説得する。少女・女性たちは決断をする。ここに残るのか、それとも新しい”イバラ”の道を進むのか。スタッフは何度も説得していた。警察から、「撤収します」と何度か催促されても、それでも諦めきれずに、話をしていた。

一番最後に、すでにこの売春宿から出ることを決めて、そとの車で待機していた少女が、売春宿に戻ってきた。彼女は売春宿に戻るのか、と思った。でも、そうではなくて、売春宿に残っている自分の姉を説得しに戻ってきたのだ。そして、姉も妹とともに、ここ売春宿を去ることを決断した。

僕はそれを見ていて泣きそうになった。


救出されて外の世界にでるよりも、売春宿に残って生きていくほうがまだましかもしれない。少なくとも、救出されたから、それで全てがうまくいくわけではない。彼女たちは、これからもいばらの道を歩む必要があるのだ。


その後のことを簡単に記す。

10人は警察署にいき、簡単な調書をとったり、病院にいって検査をする。法によって24時間以内に検査をすることが定められている。性病や、年齢の確認のための検査だ。1人が妊娠していることがわかった。先ほど記した姉妹は、3人姉妹であった。おそらく、家族にひとりずつ売られたのであろう・・・。

少女たちは寒そうにしていた。この時期は、ニューデリーも真冬で10度を下回る。少女たちは救出された時、着の身着のままで脱出した。少女たちの中には靴を履いていない子もいた。半袖の子もいた。僕はカンボジアの女性たちがつくったストールを持っていたので、それとコートをあげた。また、スタッフが、洋服を買ってきて着させてあげた。これまでもすごく大変だったし、これからもすごく大変な想いをするのだろうから、今は少しでも、外に出てきた喜びを味わってもらいたい。

そしてその後、政府機関によって手続きが行われ、一時的な保護施設にうつる。最終的に保護施設に彼女たちを送り届けたのは、深夜4時。オフィスに戻ったのは深夜5時過ぎであった。長い一日だった。


今回、10人を救出することができてよかった。でも、一度被害にあうと、それをなかったことには決してできない。そして、そういう子たちがインド・バングラデッシュには無数にいる。だから、被害に合う前に食い止める、ということが大事。そして、そのために出来ることはたくさんある。早く実行しよう。こうしている間には苦しんでいる子がいるのだから。


皆さんへ>
もし宜しければご感想・ご意見・ご質問などをお寄せ下さい。

2012年2月7日火曜日

救出3) 突入

GBロードと呼ばれる売春宿がニューデリー駅近くにある。いわば新宿の歌舞伎町だ。車も人もリキシャも牛も犬も往来が激しい。なんとかGBロードに到着し、ターゲットの売春宿の近くに車をとめる。


そして、突入だ。


おそらくGBロードのたくさんの売春宿に警察が出動したということは既に伝わっているだろう。レスキューファンデーションのスタッフが急ぐ。ターゲットの売春宿もすでに知っているかもしれない。彼らは急いで、少女たちを別の場所に移したり隠したりするだろう。

そこの売春宿の構造を簡単に説明する。3階建ての建物だ。その2階と3階が売春宿になっている。1階は普通の商店になっている。2階が広間になっており、そこで、客と少女・女性が出会う。その階のはじっこや3階に1.5畳ぐらいの部屋がたくさんあり、そこで行為を行う。3階には隠し部屋があったり、2層にわかれており複雑な構造になっている。さらに屋上があるが、屋上は全て金網で囲まれ少女たちは逃げられないようになっている。


急な階段をかけのぼる。売春宿に入る。2階の広間はそのまま突き抜け3階に向かう。少女たちを一刻も早く救出するためだ。3階はほとんど照明がない。かすかに漏れ入ってくる太陽光と懐中電灯をもとに捜索をする。小さな小部屋がたくさんある。


小部屋、というよりは、カプセルホテルのあのカプセルといったほうがいいかもしれない。コンクリート打ちっぱなしで、真っ暗なカプセル。そこで少女たちは寝る。鋼鉄の扉があり、毎晩、鍵をかけられる。暗闇のなかで過ごし、朝になると鍵があけられる。扉には番号がふってあった。牢獄以下だ。大きめの棺桶っていったほうがよいかもしれない。その小部屋を捜索し少女を助けだす。


その次はロッカーだ。売春宿側がロッカーに少女を無理やり入れて隠している可能性がある。彼らからすれば、“高額な商品”である少女を警察に取られてはたまらない。必死に隠そうとする。無理やりロッカーをひとつひとつ開けていく。パールを使って強引にぶちやぶる。今回は誰もいなかった。よかった。


その時、突然停電が起きた。業者側が故意に落としたらしい。一瞬何がおきたかわからなくなるが、捜査員は気にせず懐中電灯をつけ走りまわる。そして、2階の天井に隠し部屋を捜査員が見つけた。はしごを持ってきて登る。電気がないからおぼつかない。必死に登ると3人の少女が隠されていた。こうして10名近くの少女が見つかった。

2012年2月6日月曜日

救出2) 直前/情報漏れ

1月12日午後、少女たちの救出を決断する。警察との打ち合わせに入る。この段階でもっとも気を使うのは、不良警察官から売春宿への情報漏れだ。去年の8月の摘発では、情報漏れがあり、売春宿に救出に入っても、もぬけの殻だったからだ。

救出チームは、詳細な打ち合わせをするために、12時ごろに警察署に到着する。コーディネーター、カウンセラーの女性2名が警察署に入る。捜査員は車で待機だ。不思議に思うかもしれないけれど、捜査員は警察署に入ることは、ほとんどない。


なぜなら捜査員の顔が警察に知れわたると、不良警察官が売春宿側に、「こいつが捜査員だ。気をつけろ」と伝えてしまう。だから、捜査員は、警察との交渉の表には立たない。そして、捜査員っぽい人が警察署に入ると、摘発があるのでは?ということに不良警察官が勘付いてしまうことがある。



到着して2時間か3時間たった。
ミーティングが長引いている。



ミーティングが長引いているというよりも、警察側が、例のごとく「インド時間」で約束した時間には現れず準備も不足しているようだ。少しずつ焦り始める。情報が売春宿側にもれてしまうかもしれないからだ。

繰り返しになるけれど、一部の警察官と売春宿は癒着している。今回の救出活動についても、「摘発があるらしいぞ、気をつけろ」と伝えてしまう。その情報の見返りに不良警察官は売春宿側から賄賂をもらうのだ。

内部からの情報漏れにより摘発が失敗することはよくある。実はレスキューファンデーションでも、昨年1件、失敗している。売春宿に踏み込むと、もぬけの空だったのだ。そうなれば、これまでのたくさんの労力が無に帰すだけではなく、レスキューを待っている少女・女性たちがさらに苦しむことになる。それは絶対にゆるされない。

だから、捜査員は、警察に対して最後の最後までどこの売春宿に行くのか、ということを明かさない。実際に摘発チームが赤線地帯に移動し、摘発対象の売春宿が近づいてきたときに初めて捜査員は署長に対して明かすのだ。レスキューファウンデーションはこれまで何度も摘発し、何度も成功してきたが、失敗もしてきた。その経験から、情報漏れに特に注意を払っている。警察は味方でもあるし、敵でもある。


インド時間だとしても長い。捜査員も「長すぎる。情報がもれないか心配だ」と焦りを募らせる。その時、コーディネーターが急いで車に戻ってきた。車内に緊張が走る。ミーティングは無事終え、これからレスキューに向かうことがわかった。

車を急発信させる。GBロードへ向かう。車が混雑しておりなかなか前に進まない。運転手はいつもにまして強引に車をすすめた。

2012年2月5日日曜日

救出1) 前日




2012年1月12日に、デリーにある売春宿から10名の少女・女性を救出した。
その時の話をしたい。その前に、その前日のこと。

僕は引ったくりにあった。


(写真は、とある警察署)


インドルピーをあまり持っていなかったため、銀行へ両替に行った。オフィスから徒歩10分程度のところだ。そして、バッグにお金をいれ、リキシャワラ-(人力車のタクシーのようなもの)に乗ってオフィスへ戻った。1時過ぎのことだ。

バッグにお金を入れ、それを肩にかけ、リキシャに乗っていること、そして、団地のようになっていて、出入り口にガードマンがいることから油断してしまった。救出計画について考え事をしていた。突然、二人乗りでバイクがあらわれ、僕のバッグを掴み、僕の体ごと引っ張り、リキシャから引きずりおろし、バッグを強奪された。

これまで、途上国への出張・旅の中で騙されたりしたことはあったが、こういうことは初めてだった。あえて言えば、ムンバイの売春宿に行った時に、ベテラン セックスワーカーに恐喝にあったぐらいだ。その時はむしろ危険地に行くという意識があったので、そういう予想もしており、冷静に対処できた。むしろ帰りの交通費のための費用を交渉して返してもらった。今回は、予想していなかったことだけに動揺した。両替直後なので、もっていた金額も大きかった。


特に動揺したのは、実はこの日(11日)の夜に救出する計画だったことだ。この計画に影響を与えることを僕はもっとも恐れた。このことのために、少女たちを救出するのが一日遅れることだけは避けたい。そう思った。


そうして、パニックになりつつも、スタッフに「救出は今日実施してください」と伝えた。彼らはベテランとはいえ、直前にこういうことが起こると、救出に集中できないのではないかとも思った。その時点で迷惑だった。反省するしかなかった。僕が出来ることは落ち着いていることを装いつつ、警察など各種手続きをすることだけだった。

警察署にスタッフと盗難届を出すために行くと、そこに一人の少女がいた。


インドの警察は男性警察官が多く、したがって署内に少女がいると目をひく。僕は僕の事情があったので、その時は素通りした。その後、スタッフが警察と話していてわかったこと。それは、彼女は、遠く離れた村で、父親にレイプされ逃げ出したということ。母親はすでに亡くなっていた。地元の警察は信用出来ないので、デリーまで数百キロの道のりを超えて、この警察署に逃げ込んでいたのだ。


スタッフが警察に代わり話を聞くと、少女は泣き崩れた。さすがはNGOスタッフ。警察よりも熟練しており、話をじっくり聞いていた。そして、少女を保護する施設を持つ別の政府機関に連絡を取り、手続きをとった。


一歩間違えれば彼女はこの大都会ニューデリーで、さらに騙されて売春宿に売られてしまうかもしれなかった。そういうケースはたくさんあるのだ。おそらく、彼女は、警察への道を尋ねただろう。その人がもし悪い人であれば、「警察まで連れていってあげるよ」といって、売春宿に連れていってしまうかもしれない。

僕は、たくさんのお金を取られた。でもそれは小さなことだ。父親にレイプされ、もしかしたら人身売買にあい奴隷にさせられていたかもしれない、この小さな少女に比べたら、自分は間違いなく幸せな環境にいる。こうした少女がこれ以上増えないために、くよくよしている場合ではない、頑張らねば、と思った。

今日できたこと : 僕が盗難にあったおかげで、警察署に同行したスタッフが、少女のケアをできたこと。

(ちなみに、救出計画を共同で実行する警察側の事情から、摘発は翌日に延期された。)

2011年8月7日日曜日

エクササイズ

7月の平均

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・平均体重 72.2kg
・脂肪率 20.7%
・体年齢 35.8歳
・基礎代謝 1657カロリー
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・プロテインを飲んで、きつめに筋トレしていた。体重は横ばいだが、脂肪率が下がってきた
・ひざを痛めたのも治ってきた。自転車、徒歩、ジョギングなどの組み合わせで60分運動する